治療家として、患者として確かにこれ!これ!と思える文章が有りましたので共有します。
小児鍼の先生による本より抜粋
せっかく来院してくれたのに⋯。保護者の心配に時間をかけて説明したのに⋯。
あまりにも大変そうだったので少し気配りして診察したのに⋯。
それでもその子どもが二度と来院しないことがある。
その後の調子はどうであったろうか。
あれから具合が悪化してしまったのか。
治療に納得できなかったのか。
会話で何か気に入らないことがあったのだろうか。こんなもんかと思われたのか。
高いと思われたのか⋯。
考えれば考えるほど気は滅入ってくるであろう。
一心に治療してきたのにもかかわらず、
自分の診療の力量を思い試された気がする日々も日常茶飯事である。
患者が一度しか来院しない原因は、患者自身に聞いてみなければわからない。
鍼灸師として何十年やってこようが、新米であろうが、患者の再来院がないときに滅入る気持ちは必ず付きまとう。
しかし、何年かした後、ふと訪れてくる患者もいる。
そういったときはこちらも安堵の気持ちとなる。 そこで初めて今までやってきてよかったなあと思うのである。
患者の心が読み取れていない鍼灸師と出会うことがある。
こういう鍼灸師はほぼ自分のことしかわかっていないし、自己中心的な見解を持っていることが多い。人間が人間を診察する前に、人としてお膳立てする場面が完成していない時がある。
つまり患者の言い分を十分に聞かず、あたかも「一を聞いて十を知る」かのごとく、治療を始めて効果が出てくるのを待てばいいというスタンスの鍼灸師が如何に多いことか。
患者側も人間である。
人間である以上鍼灸師側を観察しているのである。
それを忘れていることが多い。
よく「人の話を聞く」とか「聞き上手は話し上手」など言うことがある。
自分の言いたいこと、自分の最も主張したいことをいつ話すか。
例えば、自分の経験談や自分の力量をいつ話すかを絶えず時間との闘いであるかのように急いでいて、人の話をしているのを遮るようにして、会話の位置を変えようとする。
相手にとっては、こんなみじめなことは無い。
相手はその場では、いかにも先生の言うことを理解したように頭を前後にうなずくが、実はほぼ満足していない。
誰だって自分の話を全部聞いてくれたのなら、満足するものである。
鍼灸師は聞き上手でなければならない。
我慢して聞くことに徹するのとでも違う。
十分に患者の話を聞きとって、時にはオウム返ししたりして、時にはまとめてあげて、患者の調子を聞き出すことに集中しなければならない。
私の場合一番最後に患者に「それで、他には何かありませんか、他に気になることはありませんか」とただ一言しか言わない。
その後患者の意見を否定することもなく、「わかりました。
それではこうしてみましょう」と一言説明するだけで治療をすることにしている。
相手に理解してもらいたければ、相手の話を全部聞き出すことである。
全部聞き出したら患者の方が「理解してもらえる、わかっている先生」と思うようになるものである。
人間関係はそんなキャッチボールで意外と成り立つことが多い。
患者の言い分を途中でへし折らずに十分に患者の意見を聞いてあげて「よく全てを話してくれました」のようにすれば、患者は自然と心を開いてくれる。
最後に、「では来週水曜日にまたお子さんを連れてきてください」と言えばよい。
ベテラン鍼灸師はあまり口数は多くは無い。
ベテラン鍼灸師は黙って患者の言葉を相槌うちながら聞いていることが多い。
相手の話を十分に聞き出すことのテクニックを得ることができれば、一回しか来院しないことは無い。