快・不快情動に焦点を当てるー今後の医療の根幹

慢性痛の根底にある負(不快)情動,原始的な恐怖や不安の回路網について,また,快情動の果たす役割について述べた.


負情動は荒野に生きた野生時代に,危険を未然に察知し注意深く察知し,未然に回避して生命を維持するうえで不可欠であった.
それに対して快情動は,生存に不可欠なエサ,水,交尾対象や群れの仲間に対し,これを快と評価し接近行動をとらせる本能的な情動として発達した.
両者とも,個体の生存維持や種の保存を図るうえで不可欠であり,自然界における生存は両者の2項対立のバランス上に成立している.


痛みが難治性疼痛に転化してしまうか,回復して静穏な日常に復するか、最初の分かれ道はごく小さいところにあると筆者は考えている.

「この痛みは辛い、しかしきっとよくなる」,「乗り越えられる」と捉えるか,「自分は絶対に助からない」,「手術療法も薬物療法も,もっと悪い結果を生むに違いない」と捉えるかは,一瞬の小さな違いのように思える.
しかし,負情動と快情動の回路網のバランスはここで崩れ,それが長期に続けば、やがて脳の機能と構造に変化が起きてくるのである.


とくに 脳の構造的変化を伴う慢性痛では,病的で過剰な負情動の回路網が支配的になる。破局的思考に陥ってしまうと,手術療法にも薬物療法にも抵抗して,回復への復帰は難しくなる。


プラシーボ鎮痛(placebo analgesia)の項で述べたように、錠剤をひと目見て、新皮質が「薬物そっくり」と認識し,「鎮痛効果があるに違いない!」と期待した瞬間,皮質下にある諸神経核が一斉に活動を始めている.中脳の腹側被蓋野からはドパミンが,前帯状皮質や辺縁系の神経核からはオピオイドが分泌され、脳幹では下行性疼痛抑制系の神経核が活性化している.これら皮質下の神経核の働きは無意識下で起きているため,これまではその活動を把握できなかった.
従来は視覚的に検証する方法がなかっただけで,実際には目まぐるしく活動しているのである.


たとえわずかであっても心に期待や希望を抱くとき,mesolimbic dopamine system は刺激され,根源的な生に向けて本能行動が活発化する。情動脳も,生存脳も,活発に動き出す。
快情動→意欲→行動→期待のサイクルが循環すると,生命活動や創造意欲は盛んになり,これは次の行動を起こすモチベーションとなり,脳活動はさらに活発になる.


希望と期待を抱くだけで,精神と身体の機能は確かに蘇えるのである.
絶望の極致から這い上がる力を与え得るのは,希望だけである.
「希望が脳を作る」と言われるが,これは決して誤りではないと筆者は考えている.


プラシーボ効果をもたらすものは薬や注射とは限らず,祭祀も,経典の詠唱も,教会の讃美歌や礼拝も,脳回路網を活発に動かす。
医師や医療従事者の言葉と表情は,特に大きな影響を与えるようである。
難治性疼痛に8年間も苦しみ,自殺未遂を繰り返していた線維筋痛症患者が“今度の担当医は自慢の息子にそっくり”と,全幅の信頼を寄せて以来,認知行動療法と薬物療法が効を奏して,奇跡的な快復を遂げた例もある.


プラシーボは日本では偽薬と訳されたため,まやかしのイメージがあるがプラシーボはわれわれ自身の脳の働きに他ならない。Mesolimbic dopamine systemは渇望や,生きる意欲をかき立てる快の情動系であるが、側坐核を介して,思考や認知機能を担う前頭皮質の回路網と結びつき,「自己優越
の錯覚」も確立させている.


「自分は優秀で強者である」という優越性を”錯覚”することは、精神の健康を保つうえで重要である.
この錯覚によって人は自己の未来の可能性を信じ自尊心を持ち,希望や目標を持って前進する自分を優秀であると自己評価したとき,脳内ではドパミンの分泌量が急増する.


慢性痛患者の言葉,「自分は無力で何もできない,無能で,みじめだ」と対比させてみたとき、ドパミンシステムが生きる意欲にいかに重要な役割をはたしているか,あらためて実感されるであろう.


激動するグローバル経済下でサバイバルゲームを続ける現代では,人々は苛酷な心理/社会的ストレスに日々、晒されている。享楽もストレスも過剰に溢れる社会においては,肉食獣が去れば危機から解放された野生時代より,はるかに大きな敗北感や孤独感に,人は苛まれるのかもしれない.


ほんのわずなな希望や期待であっても,快情動→意欲→行動→期待のサイクルが循環し出せば、精神と身体の機能は甦ることを忘れないでいただきたい。

『慢性痛のサイエンス 終章より』

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