『治療という行為』の捉え方

こんにちは、高橋雅規です。

先日、仕事に行く道中、こんな事を考えました。

経験の長い先生の施術の進め方として、

本丸(一番の原因)を攻める前に外堀(周り)を埋める

という事を幾人もの先輩方が言われてます。

確かに納得する治療過程方法です。

高橋も場合によっては結果的に行っています。

しかし高橋自身の治療のイメージの大半は、

『痛みという敵との対面』ではありません。

不具合が纏わりついた一個人から、

不具合のない身体へ呼び起こす『創作作業』

もしくは

埋もれた健康体を発掘する『発掘作業』

という認識の方が大きいです。

ザックリと…

創作で例えるなら

一本の木から木彫りを造るイメージ。

まずは最終的な形に最適な木材選び。

そして一番邪魔な場所を取り除き荒削りの状態にへ。いわゆる一番不具合を出す所をまずは処理。

そこから徐々に削り出し最終的にディティールを仕上げていく…

発掘で例えるなら

まずは一番怪しい場所を定めるソナー(探知)

場所が定まれば発掘するのに一番障害になるものを先に重機で取り除く

最終的には『手やハケ』で優しく仕上げていく…

だがしかし、一回の作業時間(治療時間)は限られています。

大きなもの(痛みの強いものや慢性的なもの)に取り掛かるなら、

やはりそれなりの期間をかけてあげないと、

悲しいことに仕上がりに雑味が出てしまうのは悔しい思いです。

する側される側でも『治療』や『施術』という行為をどう捉えるかは人それぞれです。

高橋の場合、

不具合に埋もれた一個体の身体を『発掘or加工』する作業

と認識しているのかもしれません。

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