昨日のミーティングで治療院とエステは何が違うのか?
なぜ人は値段の高いサービスにお金を払うのか?という話になりました。
はっきりと言葉になりませんでしたが、腑に落ちる一節がありましたのでご紹介します。
星野リゾートの星野佳路さんから聞いたエピソードです。
いろいろなホテルの経営者が集まる国際会議に星野さんは出席していました。日本が「クールジャパン」の文脈で「おもてなし」というコンセプトを世界に向けて発信していた頃です。あるアメリカのホテル企業の経営者が日本の経営者にこう聞いて回っていました。「日本が発信している「おもてなし」、これは本当のところ何なのか?」。
日本のある経営者がこう答えた。「日本の得意な親切、丁寧、迅速、きめが細かい、正確なサービス―これがおもてなしの力だ」。するとアメリカ人の経営者は「それ、うちのホテルでもやってるぞ」。彼の経営しているホテルはラグジュアリーボテルでした。十分にコストをかけた贅沢なサービスを提供している。サービスは親切だし丁寧だしきめ細かい。それとおもてなしはどう違うのか、と問われて日本人経営者は黙ってしまった。
横にいた星野さんはこのように説明しました。西洋のラグジュアリーホテルで提供しているのはバトラーサービス。
ホテルは執事、召使い。お客さまがマスター、ご主人さま。お客さまとホテルは上下関係にある。
サーブ権はつねにマスターが持つている。こういう飲み物を用意しろ、こういうレストランのこういう席を何時に予約しろ、気が変わったんでこっちに変えろ、そこまで行くクルマを用意しろ――お客さまのあらゆるサーブをホテルが受け止め、いかにきめ細かく、迅速、丁寧、正確に返すか。それが西洋の優れたサービスです。
日本のおもてなしはまったく違う。そもそもゲストとホストが同じレベルに立っている。上下関係はない。しかもサーブ権は常にホストが持っている。茶の湯の文化がそうであるように、まずホスト側が自分の世界観を構築して、それをお客さまに提示する。お客さまは滞在中、四の五の言わず、その世界観に身を浸して楽しむ。それがおもてなしで、西洋のラグジュアリーホテルとは質的に異なる――ここに至って、海外のホテル経営者は納得したそうです。確かに、日本の温泉旅館に泊まると旅館の中でごはんを食べる。それは、食事が旅館の提示する世界観の重要な構成要素だからです。
星野さんのように優れた戦略的センスを持つ経営者は、おもてなしという言葉1つとっても、まずそれが「何ではないか」を考える。differentがどこにあるかを捉える。ところが二流経営者は、おもてなしと聞くと「きめの細かいサービスで頑張るぞ」とbetterの方向に走ってしまう。きめの細かいサービスは、コストを掛ければどのホテルでもできます。持続的な違いにはならない。概念と対概念という考え方がいかに大切かを示す好例です。
楠木建の頭の中
戦略と経営についての論考より