「いじめは都市が作った」
都市化はいじめ問題の原因にもなっています。
いじめは、今に始まったものではありません。
よくいうのは今は陰湿でひどくて自殺者も出るからよくない、昔はもっと陽性だったということです。
でもそれは違います。
昔は逃げ場があったということです。
要するに人間が生きるためにやらなくてはいけないことが二つに分かれていたのです。
対自然と対人間の二つの世界があった。
対人間世界が嫌ならば自然のほうに逃げるという手があった。
仮に勉強が駄目だったり、運動ができなかったりしても、魚取りや虫取りが得意だとかそういう些細なことがきっかけになって、いじめっ子だったはずの子供が面倒を見てくれるかもしれない。
そういう世界が半分になってしまったのです。
つまり対人間世界だけになってしまった。
対人間世界、対自然世界、それぞれにプラス面とマイナス面があります。
いじめは対人間世界のマイナス面の一例でしょう。
対自然の世界がなくなるということは、対人間世界のマイナス面が相対的に拡大することになります。
かつては世界の四分の一だったものが二分の一になってしまうからです。
女性が中学生のときにいじめられたいきさつを書いた本を読むと、その中に出てこない要素があることに気づきました。
それは花鳥風月です。
天気や花、季節の話が出てこない。
いじめられている当人の目が自然に向いていないということがよくわかります。
彼女にも世界が半分しかないから、いじめが相対的に重くなって当たり前です。
もちろん自然にもマイナス面があります。
洪水に遭ったとか、雷が怖かったとか、そういうことは自然のマイナス面でしょう。
プラス面は晴れた日に外に行けばわかる。
同じように対人間の世界にもプラス面とマイナス面がある。
先生に褒められた、親に褒められた、お小遣いをもらったというのはわかりやすい対人間世界のプラスです。
それから先生に怒られた、親に殴られた、友達にいじめられたというのは対人間世界のマイナスです。
そんなふうに世界は四つあったのです。
本には、先生が何を言った、友達が何を言った、というような人間のことは嫌というほど書いてありました。
しかしその日が雨だったのか、風が吹いたのか、月夜だったのか、闇夜だったのかがわからない。
こういう世界では当然いじめは深刻になるのです。
今のほうが、子供もハワイやグアムに行ける時代だから世界が広くなったような気がしているかもしれません。
しかしそれは間違いです。
なぜなら、それは日常のことではないからです。
要するにハレの日の話であって、日常生活の世界は狭くなっています。
超バカの壁 養老孟司著いし