「子供には手入れ」
子供を大事にするというのはどういうことか。
それは「手入れ」の問題だと思います。
自然のものというのは、根本的にはこっちが向こうの仕組みを全部理解しているわけではありません。
車の修理ならば全部どうすればいいいかわかりますが、自然の場合はそうはいかないのです。
だから何か都合が悪いことがあれば相手の反応を見ながら手入れしていくしかない。
相手の反応を見ながら手入れしていくというのは、非常に手間のかかることです。
お母さんがうるさいのはなぜか。
毎日のように飽きずに、ああしちゃいけません、こうしちゃいけません、こうしなさい、ああしなさいと言い続ける。
子供とはそうやって毎日手をかけていかなくてはいけないものだからです。
子供というのは丈夫なところもあるけれども、弱い点についてはものすごく弱い。
それば小児科の医者がよく知っていることですが、子供の病気は足が早い。
熱がちょっと出たなと思ったら死んでしまうというふうに急激に容体が変化することも多い。
車ならば悪いところを交換すればそれで当分何ということはない。
しかし相手が自然ならば、少しずつ相手を見ながら毎日毎日手入れしていくしかない。
それは稲を育てるのと同じです。
稲というのは太陽の光と水と肥料で育つものだと言って、放っておいたらどうなるか。
雑草だらけになって、稲以外のものの方が一生懸命育ってしまったということになりかねません。
結局、毎日、田んぼに行くしかない。
雑草は抜かなくてはいけないし、イナゴは追い払わなければいけない。
その手入れを上手にするためには、根気が必要なのです。
相手の存在をきちんと認めなくてはいけない。
自分の生活の付録みたいに思っていてはいけない。
まともな親なら子供の存在をきちんと認めているはずです。
毎日心にとめている。
そうしていれば大体普通に育つ。
その行為は頭で考えた結論に相手をあてはめていくというのとはまったく逆なのです。
そういう頭でっかちな考え方を「ああすればこうなる」式と言います。
自然相手の仕事はそれでは上手くいきません。
先行きが見えない。
そこを間違うと、こんなに苦労して育てているのに思うとおりにならない、と悲観することになる。
超バカの壁 養老孟司著より