「子供と株は違う」
子供の価値が下がったということは、自然の価値が下がったことと同じことです。
それは人間が自然というものに必然的に触れざるを得ないという状態から脱したことと関係しています。
一次産業というのは必然的に自然に触れて、直面して、手入れをしていくもののことです。
別に農業や漁業にかぎりません。
鉱山で穴を掘っていても落盤したどうしようもないから、そういうものを予防するようにいろんなことをしなければならなくなる。
それも手入れでしょう。
絶対大丈夫な穴はないだろうが、ここまで梁をいれておけば大丈夫だろうということを絶えずやる。
そういう仕事が身についていれば、子供を扱うのは楽です。
同じ原理なのですから。
しかしそれがたとえばIT産業のように計算して物事をやっていくことがすべてになると事情は全く違う。
こういう仕掛けをやって、こういう事態が起こったらこうして、ああいう事態が起こったらこうしてとすべて計算してやる。
「ああすればこうなる」式の仕事です。
株を手に入れて、それを高値で売り飛ばすか、相手から金をとるかで、とこのくらいはもうかるはずだという計算が成り立つ。
しかし子供の場合、それは通じません。
超バカの壁 養老孟司著